
――今回、ベストアルバム『BEST of BEST』がリリースされるということで、結成当初から現在までの活動を振り返っていただきたいなと思います。まずはお二人の出会いから教えていただけますか?

津久井克行(以下、津久井)「ある会社の人に別々で呼ばれて、お前たちやってみるかって」
日浦孝則(以下、日浦)「それが1992年の11月くらいかな。それで会ったのが始まり。お互いのことを知らなくて、津久井はソフトケースのギターを持って、ヒゲを生やしていて。汚いやつだなって(笑)。当時、俺も32歳だったので同じくらいの年でギターを持っているところに哀しさを感じた。まだ音楽やっているのか、お前もって(笑)。何かそういうところに同じニオイを感じて。そのときはデュオでやるなんて思っていなかった。多分、お互いともソロで音楽の道を進んでいきたいと思っていたんですけど、そのときに会社の人が日本にも世界にもなかったようなデュオを作りたいんだって。それでまんまと(笑)」
――それで一緒に歌う機会はすぐにあったのですか?
日浦 「それから二週間後くらいかな。そのときに曲を持ってこいと言われて。お前らでプレゼンしろって。それで俺は「Holiday」を持っていった」
津久井 「よく覚えているね〜(笑)」
日浦 「そのときに作家さんがいて、その人たちが作ってきていた「夏の日の1993」を聴いたんですよ。初めて聴いたときに、ヒット曲ってこういうものなんだって。それでこれを二人でやりましょうということで、またその二、三日後にスタジオで録ったんです」
津久井 「とにかく曲がたくさんないと、色々なところにプレゼンテーションをかけられないから。90年代はまずタイアップがあってという時代だったんですね。それに曲をたくさん歌うことによって、お互いの感じが色々とつかめる。色々なタイプの曲を歌ってみて、自分たちで作ったものもやってみて、その中からチョイスしようということになって。それでデモテープを作って、一日に三曲くらいをレコーディングをしてた」
日浦 「そんなにやったっけ?」
津久井 「やっていた(笑)。中でも「夏の日の1993」のデモをレコーディングしている時、現場がすごく一丸となっていた」
――曲への純粋な気持ちで取り組めたんですね。
津久井 「出来上がったときに、みんなが良い曲だねって。最初は「夏の日のミステリー」という仮題が付いていたんですよ」
――え〜、最初はそんなタイトルだったんですか。
津久井 「レコーディングしながら、タイトルどうしようかって。1993年だから夏の日の1993というタイトルをつけようかって」
――それであの曲が出来上がったんですね。お互いの歌声を初めて聴いたときの印象は?
津久井 「30代前半だったので、脂が乗っていて声もよく出ているんですよ。ものすごく倍音が多いので、よくマッチするんですよね。キーもほとんど一緒なので。どっちが上をハモってもいいし、下へハモってもいいし、両方メロディーを歌ってもいいし。例えば僕がメロディーを歌って、日浦がハモったときにはそういう世界になるし、日浦が歌って、僕がハモっているときはまた違う世界になって。classの不思議なところは、誰かが一人で歌っていくわけではなくて、必ずAメロ、Bメロ、Cメロを歌い分けていく。その部分、部分で景色が変わっていくというのが面白かった」