
――今までになかったものが生み出される楽しさみたいなものを感じたと。

日浦 「今までの経験からありえないだろうって思ったのは、二人がハモったときの「あれ?何これ?」っていう不思議な音色にまず驚いた。こんなことあるんだって。それがclassのハーモニーで一番ビックリしたところ。あとはリレーショナルなスタイルですよね。今、変わったんだけど、意識していないと分からないという。お互いに同じ世代で、同じようなものを聴いているから似ているんだなって。ただ、倍音というか声の構成は違う。凹凸があるみたいな。でもよく似ている。似ているんだけど違う。合わさると凹凸がさらに凹凸を生んで、不思議な音色になって。リレーショナルなものって聴くには面白いんですけど、作り込むのは大変なんですよ。普通のレコーディングの4倍くらいかかるんですよね。ずっとテンションを高めていなくてはいけないから大変でしたよ」
――すごくこだわりをもって曲を作っていたんですね。
津久井 「ツインヴォーカルデュオということなので、メロディーを歌い分けることがツインヴォーカルではなくて。コーラスってメロディーに合わせるじゃない。そんなのつまらない。僕はコーラスグループってあまり好きではなくて。ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーとか、サイモン&ガーファンクルとかは綺麗なハモリをしてるわけじゃなくて、お互いのクセをよく知っていて、そこに自分の個性をぶつけるというか。つまり戦っているわけなんですけど、それが面白いところなのかな。だからツインヴォーカルデュオなんですよ。いま聴いても新鮮な感じがするというのはそういう部分で。タイミングがどうとか、音程がどうだとか、それだけじゃないところでやっているのが何度聴いても飽きないのかなって。だからこそ新鮮な感じがするのかな。もっとカッコイイ言いかたをするとパフォーマンスがいいのかなって」
日浦 「あとは計算していないんですよね。計算してなくて、パッと出たものでやっているから。だから時間が経っても面白いのかもしれない」
――だからこそ面白いものが作れていたんですね。そしてデビューシングル「夏の日の1993」をリリースして、瞬く間に大ヒットとなりましたよね。そのときの状況を自分たちではどのように見ていましたか?
津久井 「そのときは分からなかったですね。ラジオやTVとか観たけど、classが出ているなって。売れているんだな〜って。何か客観的に見ていましたよ」
日浦 「いま考えると音楽ビジネスに携わっている人間としては不純。横着な自分だったと思いますね。音楽ビジネスに携わっているならもっと貪欲になっていってもいいと思うんですよ。売れている、TVとかに出させてもらっている、ならもっと売ろうじゃないかっていう気持ちが出てもいいと思うんですけど、俺は音楽のほうに純粋だったんですよね。俺が小さいころから思っている音楽の姿っていう、憧れたミュージシャンの姿には純だったんだけど、音楽ビジネスマンとしては失格だったなって」
――そういう状況に戸惑いを感じていたのですか?
日浦 「戸惑いもあったし、描いていたものと違うっていうところが許せないみたいなものがあったんでしょうね。レコード売ってなんぼの仕事をやっているのに、そこのことを考えていなかったのが、今となっては違ったかなって。でも自分の音楽に対する思いっていうのは純粋だったし。そういう時代だったのかなって。自分が思い描いていた音楽をやっている自分の姿と、ビジネスの中に組み込まれていくclassの日浦というのがどんどん離れていって。自分の中でもうダメだなっていうのが段々きていた。しっかり考える時間がなかったかな。スタッフと話す時間もなかったし、なんかワーッと時代に流された感じ。波に乗っかって、波がなくなって浜に着いたみたいな」
――そうだったんですね……それで3年間の活動でアルバム6枚、シングル7枚をリリースして一度解散となりましたが、それは考えをフラットに戻したかったからなのでしょうか?
日浦 「そうですね。もうこれ以上嫌だって。一回、嫌になっちゃうとダメなんですよね。何がどうなろうが。もうやりたくないと思っちゃうと。そう思ってしまったので」
――そして解散してからお二人はどのような活動をしていたのですか?
日浦 「二人ともソロとして音楽を。世の中に聴いてもらえるような状況を作ろうとやっていました」
津久井 「自分のやりたいものを一生懸命取り入れてやっていましたよ」
――お互いの活動状況は把握していたのですか?
津久井 「連絡は一切しなかったですね。ライブを一回観に行ったくらい」
日浦 「6年くらいしなかったんじゃない?」
――もう一回、自分を見つめなおす期間でもあったと。
津久井 「相当、見つめなおしましたよね。相当勘違いしていたんだなって。このままいったらダメになるって」
日浦 「そうなんだ(笑)。初めて聞いた」
津久井 「それから抜け出してからはものすごく幸せですよね。改めて音楽は楽しいなって。その頃初めてclassでやってきたことの恩恵に気付いて。いま音楽を続けていられるという感謝の気持ちがあります、肩書きになるわけじゃないですか?どこにいっても「夏の日の1993」が、それがキャリアであり、信用なんですよね。やっぱりclassってすごかったんだなって」
日浦 「もう14年経っていますけど、また色々な人に会ったりとか、いつまでも音楽に対しては真っ直ぐに向かっているというか。そうじゃなければ罰があたりますよね。音楽には真面目にいよう、音楽への愛は貫かなければなって。そこでは間違っていなかったし、当時の音楽業界にいた人間としては失格かもしれないですけど、音楽を愛しているという気持ちは素直だった。そのままずっときているから、それは間違いなかったと思っています」
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